デジタルエンタテイメント断片情報誌

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ブルックナー団に入団を希望するも足切り

時節柄嫌な気分になる御仁がいそうなワードを使ったタイトルにしてみた。まあ、今どき年明けでもそういうのは気にしないのかな。「落ちた」・「滑った」、あとは「本人の努力が足りない」なんてね。平気だよね。


『不機嫌な姫とブルックナー団』(著:高原英理 講談社)をようやく読んだ。お、普段はなるべく話の枕を置きたいタチなのに、今回は書評っぽく素早い導入ですね。

それもそのはずで、この本は”ブルックナーとその音楽を知っている人、あるいは興味がある人に贈る、現代(日本)のファン・オタクによるブルックナー讃”といった趣なのだ。広く一般的に薦められる本かというと、そうではないと思う。だからハナシが早いというわけだ。
ただ「クラシック音楽のファンなら知らなかったとは言ってほしくない。特にブルックナーを愛する者は、この本くらいは知らなくてはだめだ」みたいに、ネタにするノリで手に取ってもOKな本ではある。

ちなみにこの「知らなかったとは⋯」のくだりで有名な評論家も、作中でサラッとネタにしている。日本のクラシックファンの歴史を考える上では、正直あからさまに登場させるくらいでもいいのに、あの程度の扱いとは痛恨の極みといえよう。

本のタイトル通り、”ブルックナー団”と称する3名のオタクと(”姫”と呼ばれるのは嫌な)女性の出会いと、そこで綴られるブルックナーのエピソード・伝記を中心に話が進んでいく。コンサート会場の様子や彼らの動向は、ネットに触れているクラシック音楽ファン・オタクならニヤリとするものが並んでいる。ただ登場人物のキャラクターも含めて、大体10~15年くらい前のノリであり、もはや懐かしく感じるファン・オタクもいるだろう。

例えば昨今、コンサートの感想はtwitterやfacebookといったSNSを中心に多種多様に語られるようになって、個人サイトや2ch(5ch)に寄りかからなくとも容易に手広く読めるようになった。この本を読んでいて、その辺りの時代の空気の違いを既に感じてしまう。ただ、それが決してこの本のマイナス要素ではない。

また、我こそはというクラシック音楽ファン・オタクなら、作中に出てくる「ブルックナー団員資格認定テスト」(要はブルックナーオタク度チェック)を試して頂きたい。私の結果? いえいえ私などファンの端くれですから⋯。そんな、普段ロクにブルックナーを話題にしていないのに、版の違いが話題になったときだけ擦り寄ってくる音源”収集家”でもないですし。

そんなことを書きつつ、ブルックナーでも聴くか、という気分にさせてくれる本である。


というわけで最後に音源の話です。ブルックナー団に入団し損ねた私が好きなブルックナーの交響曲は、5~9番でもなく、この本にも登場する第2番だったりする。”ブルックナー開始”もバッチリだし、聴くと確かに”ブルックナーの曲”なのだが、あっさり風味で聴きやすい。版の問題で頭を悩ますこともあまりない。クラシック入門として大袈裟に後半のナンバーを薦めるよりも、私などは第2番から入った方が良いのではと思っています。

最近の録音だと、シモーネ・ヤングが巧い。この録音を聴いて全集を買う気になった。荘厳さも艶かしい響きも申し分ない。


ウイーンフィルの咆哮を聴きたくなって、ホルスト・シュタインが指揮した録音を手にすることも多い。この頃のウイーンフィルは「こういう風に演奏するの? 別にいいけど。できるよ? じゃあ力一杯やっとく」とでも言いたげな野卑で野太い音を出していて、それがまたデッカの録音で残っていたりするからたまらない(割と人によって好みが分かれたりする)。ショルティのスッペやハチャトゥリアンの自作自演にも、似た雰囲気がある。


最後に第2番以外なら、作中ではギュンター・ヴァントの名前が実名で挙がっているが、私はギュンターはギュンターでも、ヘルビッヒを推したい。旧東ドイツ時代の録音も良いが、近年取り組んでいるブルックナーがまた素晴らしい。この作曲家のシューベルトに通じる素朴さ、朴訥さを心地よく表現してくれるのだ。最近第7、8番は専らヘルビッヒで聴いている。ブルックナーはこの切り口でもっと聴かれていい。

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