デジタルエンタテイメント断片情報誌

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今改めて読みたい、こんな「経験者は語る」

歴史や軍事、とりわけ第二次世界大戦に対する興味・関心は尽きないもので、一般常識としての知識に留まらず、日々誰かが骨の髄までどっぷりと浸かって文献や資料を閲覧したり、果ては真剣な議論をしたり活動したりしていることかと思う。

私自身もメディアを問わず、戦艦や戦車、太平洋戦争の特集記事や映像に見入ったり、それらにまつわる映画や漫画・アニメ、ゲームを楽しむことがある。こうして記事を書いたりもする。

そんな中、ネット界隈ではいわゆる”戦時・軍隊経験者”の存在が個人の主張や日常の小咄のオチとして現れることがある。「私の祖父が元海軍で~」、「~話を聴いてみるとその人は第二次大戦中○○方面の部隊に所属だった」⋯等々。どうも、そういう人物が身近にいるだけで、あるいは「いると設定する」だけで話に真実味が増したり、世間から注目を浴びる要素になるらしい。

しかし、世間の関心を惹くために金科玉条のごとき存在・認識にされた戦時・軍隊経験者のイメージは、「戦争」というキーワードとともに、少し偏りすぎて、凝りすぎていないだろうか。彼らの存在をないがしろにするわけでなく、そんな人物が身近にいなくとも、もっと日常的な、近しい目から見る・知る向きもあっていいのではないか。

そんなことをふと考えて、『与太郎戦記』(著:春風亭柳昇 ちくま文庫)を思い出すときがある。

与太郎戦記 (ちくま文庫)

与太郎戦記 (ちくま文庫)

著者は落語家・5代目春風亭柳昇。今、日本テレビ『笑点』の司会を務めている春風亭昇太の師匠にあたる。
徴兵で歩兵を希望して「しまった」筆者の戦時・軍隊経験を綴った本である。戦時・軍隊の日常を淡々と、それでいて恋愛やギャグ、ちょっとした冒険活劇の要素も加わった、まさに等身大の戦記である。文章の構成も面白くまとまっており、流石というか、巧い。

この本には戦争の賛美も批判もない。一寸トボけたような表現に挟まれて、より迫力と具体性を持った戦争描写や、戦時の現場で生きる者の冷静さや切実な生の運びが読めることが素晴らしい。以下引用:

 考えて見れば、大隊長が倒れ、小隊長も戦死し、曹長殿も射たれ、悪戦苦闘もいいところである。私がでっくわした最初の激戦でもあった。”戦記物”を読むと、ここで悲憤にくれて号泣し、復仇を誓い、怒髪天をつくシーンである、ところが、ちっともそんな感動はない。ひどい戦闘で、私の頭にガタでも来たのかと、まわりを見たが、どの兵隊も、平々凡々の顔つきをしていた。そして翌日からは、あたりまえのように、日常の勤務についたりするのだ。おそらく、いちいち感動していたのでは、神経がもたないので、自動的に、感動のエンジンがストップしてしまうのではないだろうか。
(『与太郎戦記』 ちくま文庫 P.146~147)


また、軍隊がどういう組織だったのか、一例としても大いに参考になる。以下の引用だけでも、イメージが変わることがあるのではないだろうか。以下引用:

 ついでに申しあげるが、軍隊に関する映画や小説では、とかく下士官が兵隊をなぐるシーンが常識となってるみたいである。しかし戦場では、少なくとも下士官ともなれば、そうむやみに兵隊をなぐるものではない。戦地ではみんな実弾を持っているし、それに、下士官より兵隊のほうが数が多いのだ。仕返しの危険を考えないほど向こう見ずの下士官なんて、そうはいない。
(『与太郎戦記』 ちくま文庫 P.126)


まずはこの本だけでも読んでおけば、日々のネットやSNSの話のタネに”戦時・軍隊経験者”が登場しても、お祭り騒ぎする前に「ふーん、それで?」「それだけ?」の余裕が生まれる⋯かもしれない。

続刊も面白いので興味があればどうぞ。

陸軍落語兵 (ちくま文庫)

陸軍落語兵 (ちくま文庫)

与太郎戦記ああ戦友 (ちくま文庫)

与太郎戦記ああ戦友 (ちくま文庫)

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